ブログサボってた時期に観た映画のひと言感想(9作品)

ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像(2018)

ずっと雨降る前の空気の匂いがする映画。終盤の雰囲気が特に好きだった。

 

シャーロック・ホームズ(2009)

TRPGシナリオの下地になればと思ってフォロワーとウォッチパーティした映画。原作と比べるとかなりアクション。でもめっちゃ面白いのでおすすめできる。

 

シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム(2011)

続編。面白い。二部作と考えていいと思う。

 

ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル(2017)

前作は未鑑賞。面白かったけどシナリオもうちょいなんとかならんかったん?

 

9人の翻訳家 囚われたベストセラー(2019)

良い。唸った。でも怖かった。ミステリー好きな人にはおすすめ。

 

メン・イン・ブラック(1997)

古典観るシリーズ。おもしれ~~~!!!続編も観る。

 

ヴェノム(2018)

オタクってこういうの好きなんでしょ?って感じだった。好き。

 

魔法にかけられて(2007)

フォロワーに勧められたので観たけど前情報で聞いてた印象よりかなり現実味があって真剣に観てしまった。構成がすげ~よくできてる。

 

JUNK HEAD(2017)

めちゃくちゃ面白いしめちゃくちゃ手間がかかってる。すごい。世界観が癖になる。クノコ……。

SING/シング: ネクストステージ(2021)観た

ネタバレあるので注意。

 

 

公開されてからずいぶん経つので、いい席で観ることができた。前作がかなり好きなので正直期待しないで観ようと思っていたが、これがどっこいめちゃくちゃ良かった。久しぶりにブログを更新しようと思うくらいには。

 

前作が主人公及びメイン演者の個人的な苦悩を舞台上で昇華する物語だったのに対し、今作は主に「表現者としての才能 (あるいは才能のある表現者)」に重点を置いている印象があった(それから「関係性」も)。もちろんエンタメとしての土台が大きいので決して芸術的な視点ではないけども、少なからず私はその点にまつわる演出で心が揺れた。

現場にポーシャが乱入して、ロジータの代わりに高所から飛び降りて歌い始めたとき、胸をわしづかみにされた思いがした。金持ちの娘で、若くてかわいくて度胸があって、才能もある。この世の全てを持っている存在として描かれていて、なんて残酷な演出なんだ……と思った。のちに歌以外の演技はてんでだめ、ということがわかるのだけれど、この時点ではロジータに諦観を与える役割として配置されていて、それが本当に苦しかった。シナリオに深みを与えるすげえ良いシーンだと思った。

クレイ・キャロウェイの家にアッシュが滞在するシーンも、すごく胸が締め付けられたな……。「憧れの人には会わないほうがいいって本当だね」って台詞がキツかった。同じような経験があるから。あと、アッシュがどれくらいクレイ・キャロウェイのファンなのかの説明をうまいこと省いてるな~と思った。本人が横に座ると、弾き語りがぎこちなくなるんだよね。本当に憧れてるんだなあって……思い返したら泣けてきた……。

最後のショーでポーシャがエイリアン役を華々しく演じているのを見て、(設定を含めた)キャラクターデザインがうますぎるだろと思った。禍根を残さない演出。

でも社長は確かに殺人未遂でお縄につくべきだけどさ、自分のホテルの劇場占拠されてることに関しては怒ってもいいよね……?制作費も全額出資してるだろうし、娘の出演の件以外は自由につくらせてくれたし(納期はヤバいけど)、完全なヒールではないからあの邪魔者扱いは若干疑問だった。まあ殺人未遂はアカンか……。

 

その他好きなとこ。

序盤のナナがムーンを励ますシーン、すごくよかった。一旦は去ったナナが様子見にちょっと覗くのがまた……。ナナめちゃくちゃいいひとになってる。

ユーモアもよかった、ふわふわコアラ、モップ掛け、振付師に出番を盗られた可哀想な豹……。

バスの中で稽古するところも好き!

ストリートダンサーの猫の女の子めちゃかわいかった、もうちょっと深堀りしてほしかったナ~

ロジータが自分の夢のためじゃなくムーンの命を救うためなら飛び降りられる、ってのが良い……ロジータ人間性(豚性?)が出てるなあ。

クローリーがマスコット然としていてよかった。現場監督するシーンとかエンドロールが好き。あとランボルギーニ(多分アヴェンタドールだった気がする)レンタルしてて笑った。

 

前作も数年ごとに度々観たくなる映画だけど、今作もそうなる予感。元気が出る映画。

2001年宇宙の旅(1968)観た

ネタバレ含むので注意。

 

今更観た。厳密にいうと昔3分の1くらい観たけど飽きて今まで積んでた……。
妹が「この前観たから感想を話したい」と言うのでいい機会だと思って再チャレンジしてみた感じ。見終わった直後に妹と白熱した議論を交わしたのでここに記していきます。ネット上に無限にあるであろう考察はまだ読んでない状態。

 

はっきり言ってやっぱり冗長な部分が多い作品だと感じた。だけどそれは、現代の人間の目線だからそう感じるということでしかなくて、1968年当時の映像技術や宇宙技術、それに対する知識の普及度を考えれば必要な冗長さであったと言わざるを得ない。「宇宙ってほんとに体が浮くんだ!こんなに、なんにもなくて、呼吸すらできないんだ!」とか、「人が壁を歩いてる!瞳の色が反転してビビットカラーになってる!」とか、今になっては当たり前すぎて見飽きた映像技術も、当時は驚きをもって受け入れられたはず。観客は驚きを消化させる時間が必要だった。そのためにあの長尺はかなり役立ったと思う。
キューブリックが本当のところ何を考えて長尺を取り入れたのかはわからないけど、少なくとも私はそういうふうに捉えた。というかそう思わないと何も起こらない画面をず~~~~っと見てられへん、Youtubeの爆速カット編集に慣れた平成世代だから……。

 

ただ、前述したような「未知の映像技術や宇宙知識に出会った人々」以外にもこの作品を楽しめる人種がいる。それはもちろん、作品自体のテーマが心に刺さったヤツら。前述の感想はどちらかというと商品としての映画を客観的にみたときに考えたことだけれども、これからの感想は鳥ゐ自身が「この話おっもしれ~~~~じゃん!!!!最高!!!!!」となった理由です。完全に自己解釈の考察です!!!!!!!

 

まず「モノリス」について。終始謎の物体として登場するこの石は、"特異点"のメタファーだと思う。原始の時代に猿たちが見たものがその後どうなったか明らかにされていないところから見るに、モノリスは本当は実在してもしなくてもいい。あれはクラークとキューブリックが考える「私たちは、なぜ、どこからきて、なぜ、どこへゆくのか」という問いに対する答え、その道筋を、観客にわかりやすく提示するためだけの装置なのだと思う。猿は道具を使うことを覚え、月に向かう。人類は傲慢だ。技術の発展は留まるところを知らない。どんどんと活動範囲を広げ、きっといつか、宇宙の外までも……。そういう道筋を示す装置。ロマン。

 

つぎに「物語の構造」の話。この物語は、神っぽい何か、人間、AIによる関係性の三段構造になっていると思う。
神は猿を作る。神は猿にモノリス特異点を与え、猿は道具を使うことを覚えた。道具を使うことを覚えた猿は"人間"になり、道具を使えない猿の命を消し去った。
月でモノリスを見つけた人間は、開発したHAL9000とともに木星へ向かう。月のモノリスはまたしても特異点を与えた。人工知能に感情が芽生えたのだ。HAL9000は自分が消えることへの恐怖を感じ、感情を得た。HALは"人間"になった。人工知能に感情を芽生えさせてしまった人間は、人工知能の命を消し去った。
人間がつくったAIが"人間"になったのなら、人間をつくりだせる存在はひとつしかない。
人間は"神"になった。そして宇宙の命を、消し去った。

オープニングの真っ暗な画面がビックバン以前の無を表現しているとすれば、エンディング後の無の時間も同じことなんじゃないかと思ってこのような考察をしてみた。神の赤ちゃんにされたデイブがあの後どうするのかは正直まったくわからないけど。

 

HAL9000」について。言葉にするのが難しいほど、愛おしい。鳥ゐはあらゆるコンテンツジャンルの中でもマザーコンピュータものがいっとう好きで、一番初めはどこから入ったんだろうと考えたら、『ウォーリー(2008)』のAUTOかもしれないなと思う。AUTOはHAL9000をモチーフに作られたキャラクターだから、祖をようやくこの目で拝めたということになる。赤い光が印象的で、これまでにも幾度となくオマージュキャラクターを見てきたように思う。
映画のシーンで特筆すべきはもちろん、シャットダウンをかけられている間の一方的なHAL9000の語りだろう。「死を恐怖する」人工知能は、果たして人間と何が違うのか?

 

端から端までしらみつぶしに語りたい気持ちはあれど、このあたりにしておこうかな。
確実に映画史の節目になった映画だと思うし、人に薦めたい(その場合は、退屈な序盤を耐え忍ぶようにアドバイスしたい)。一度は挫折した映画、改めてちゃんと見ることにして本当に良かったと思う。

華麗なるギャツビー(2013)観た

ネタバレあるので注意。

 

宝石のような作品だったな……良い意味でも悪い意味でも。
雰囲気は間違いなくエンタメであるのに、作品としてのまとまりは芸術を目指した印象があって、鑑賞後の感情が独特。とにかく金がかかっているので画がものすごく良い。1920'sのアメリカに存分に浸れる、特にパーティ会場でガーシュウィンが流れるところなんかあまりにもお膳立てされていて最高だった。私はああいう演出に弱すぎる。

ジェイの印象が序盤→中盤→終盤の順でミステリアスな金持ち、奥手な紳士、恋に溺れた狂人というふうに変わっていくのが面白い。それは主に「観戦者」を自覚するニックの視点と同質ではあるのだけど、彼は結局のところ本当の「観戦者」たる私たちとは違って「当事者」であるので、彼に最期の希望を与えることができた。彼の葬式に参加し、彼の死を悼むことができた。ニックが小説家だからギャツビーのことを本にする(それを世に出して真実を伝える可能性がある)という構図は陳腐であまり好ましくないけども、そのおかげで語りが詩的になったのは良い効果だなと思った。

元々はTRPGの1920'sシナリオの参考のために観ようと思っていた程度だったのに、まさかこんなに楽しめるとは想定外だった。とはいえやはり多大に参考になる部分も多くて、特に密造酒やらスピークイージーやらのあたりは雰囲気が知れてよかった。街の様子もよくわかった。

それからこれは余談だけど、本当に個人的な一点で、私はギャツビーにものすごく大きな共感を抱いていて、それがこの映画では彼の滑稽な一面として描かれている。私には彼を笑う気にはなれなかったし、かといって肯定する気にもなれなかった。あまりにも似すぎていて、自嘲することしかできなかった。

心から観てよかった!この映画はたぶんまたいつか観ると思う。

 

ソルト(2010)観た

ネタバレ含むので注意。

 

CIAのこの女、いったい何重スパイなんだ……って感じの映画。

めちゃくちゃ面白かったんだけど割と前提から設定が難しかったのでうまく飲み込めるまで時間がかかった。「ロシアから派遣されたスパイが」「いつか来るXデーのために」「CIAに長いこと潜り込んで」「その主目的はアメリカの崩壊(米国を孤立させた世界大戦の勃発)で」「任務はロシア大統領の暗殺」って複雑すぎる。

女スパイものの映画にありがちなお色気シーンが全くなくて、ただただ訓練を受けた兵士としてのアンジェリーナ・ジョリーが見られてとても満足した。鼻血だらっだらで目腫らしてガソリン飲まされてた。ガンアクションも最高だった。あと男装よかったな……。

個人的に、こういうクールなキャラクターに人間味を持たせるための「こんな冷酷な人にも大切な存在がいる」系のエピソードは相当うまくやらないと白けちゃうタイプなんだけど、この作品ではその塩梅が実にちょうどいいなあと思った。マイクが殺されたことに対する感情の噴出にラグがあるのもいい。オルロフ殺害の様子はとても感情的で彼女らしくないから、思わず力が入ってしまった、という演出になっている。ウインター殺害に対しても同じように思った、彼も仇だもんなあ。
ところで、いぬ、どうなったんだろ……しあわせに暮らしてほしい……。

ウインターについては序盤はずっと「変な挙動だな、もしかしたら仲間かも?」と思っていたけど全然尻尾を見せないので違うんだな~と受け止めてた。最後ホワイトハウスの地下で突然銃乱射し始めた時も何か正当な考えがあってのことかと一瞬混乱したくらい。
ウインターも(以前まではソルトも)、いったいどういう思想教育を受けたらこうなってしまうんだろう。しかもCIAに入るほどの秀才に育つなんて……。

社会的人間の優劣と、そのイデオロギーの繋がりを感じた。深い信念を持ってすればどんな汚い手でも使うしのし上がるために泥水も啜る、という……。思想教育のほうでは、恐怖が大きければ大きいほど「大義」がそれを覆い隠して自らの「使命」にさせられちゃうのかもなあ……。例えば死の恐怖でさえも。シュナイダーの自爆シーンからそんなことをつらつら考えながら観ていた。

久々に映画観たけどおもしろかったな~、観てよかった。

 

 

劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト(2021)を観た

ネタバレしかない。

映画未鑑賞状態でアニメ12話完走した後の感想はこっち。

tori-i-nu.hatenablog.com



念願きっての映画。初めて知ったとき"期待を上回る作品"として紹介されていた映画。アニメを見て期待値が爆上がりした映画。上映終了ぎりぎりに滑り込んだ映画。


……最ッッッ高だった……!!!!!!!
こんなすごいものを見せられて一体何が自分に言えるだろうと、エンドロールが終わって明るくなった劇場に最後まで残って必死に必死に考えた。放心した頭じゃ上手く考えられなかった。でも、ストーリーとか映像とかよりもまず先に、確かに胸のうちに在った感動に名前を付けるなら、気付きのようなものだったと思う。

「ものづくりって、こういうふうにしてもいいんだな」っていう気付き。人がつくりたいものを真っ直ぐにつくったらこういうふうになるのだという気付き。自分が今までそれに気付いていなかったという気付き……。

これは全然神の所業なんかじゃなくて、ただ人が、真っ直ぐにものをつくったからこんなに素晴らしいものになっているんだなあという、芸術作品に対する感動を覚えた。

少女☆歌劇レヴュースタァライトは、本当にすごい。

観賞中に私の脳内のほとんどを占めていた感情は、「大場なな………………………」だった。アニメの最終回から映画までの間に、彼女に何があったの?どうして?大場なな……。

序盤の電車の上のシーン、溢れ出す血の舞台装置。彼女は「これはオーディションではない」と言った。大場ななにとって、あれは現実なんだなあ。99期生の仲間が聖翔音楽学園の舞台から降り、次の舞台を目指すことは即ち、大場ななにとってあの舞台の"死"を意味するものだった。だけどその"死"によってみんなは、それぞれの幼い感情にけりをつける覚悟ができるんだよね。大場なな。どこまでも淋しがりで、わがままで、友達思いの女の子。私はあなたが眩しいよ。大好きな仲間と離れたくないと言えるあなたが眩しいよ。大好きな友達のために頑張れるあなたが眩しいよ。
大場ななの物語は、アニメにも劇場版にも収まるものではなくて、だからこんなにも、彼女が愛しい。大場なな……………………………。
エンディングの大場ななの台詞、なんだか勘ぐってしまう。「みんなには逢えたんでしょ?」……ってことは、もしやイギリスで、ひかりと同じ空間で過ごしていたりするんですか?
舞台裏の勉強をするのかなぁ。いつか、99期生のみんなじゃない、他の誰かの舞台をつくったりするのかなぁ。新しい大事な仲間が、できたりするのかなぁ。大場ななぁ…………(号泣)

香子と双葉のレヴュー。デコトラのシーンがかっこよすぎてずっと胸中で叫んでいた。丁半のシーンからこのレヴューを永遠にリピートしたい。この作品は、"レヴュー"という仕組みそのものを少女たちの強烈な心象風景として扱っている。だから少女たちの感情はいつも映像上にはっきりと浮かび上がる。デコトラがびかびかと光ってそれぞれの言いたいことを主張していたり、清水の舞台から飛び降りたり、結局"香子は双葉を信じている/双葉は香子を見捨てられない"という構図をつくっていたり……。映画で初めてレヴュースタァライトに触れた妹も、こうした仕組みによってそれぞれのキャラクターとその関係性の把握は容易にできたらしい。
ていうかここの二人、公式の推しが強くない!?「他の女の話とかどーでもええわ」って……たまりませんね、へへ……………。

まひるのレヴュー。他のキャラクター(特に大場なな)はアニメ版で一応の形でけりをつけた事柄を多少なりとも掘り返している節があるけど、まひるに関しては華恋への恋慕を過去にしているという意味で完全にアニメでの成長を経たレヴューだった。「本当は大嫌いだった」って台詞とシーンがものすごく刺さる。なんだかちょっと胸がスッとした感覚さえした。その真偽と正統性に関わらず、まひるはひかりにそういうことを正面切って言ってもいいんじゃないかなあと思っていたからかもしれない。

純那ちゃんのレヴュー。大場なな、あまりにもひどい。大場ななは"みんな"が好きだから、"みんなでつくった舞台"が好きだから、ほんとは"誰のことも好きじゃない"のかもしれないと思う。がお、の瞬間私の頭のネジがぽーん!と飛んでったのがわかった。二刀流の大場ななが、純那ちゃんに片方の剣を取られて(渡して)負ける、という構図は象徴的だ……。ここから示される現実はやっぱり、大場ななは舞台に上がるのではなく舞台裏を支える決意をしたということと、舞台上のきらめきを純那ちゃんに託したということじゃないかなあ。泣き虫の大場なな、存分に強がってた。

クロちゃんと真矢様のレヴューでとても良いなと思ったのは、クロちゃんがいつも二番手であることを言葉では言わずに、あの舞台でもこの舞台でも主役は真矢様、クロちゃんはその"敵役"、という見せ方をしたことと、「私はいつでも可愛い!」っていう真矢様の台詞。それからやっぱり、どんなに使い古された構図でも、"永遠のライバル"って好きだなあ。英雄には試練を、聖者には誘惑を、私にはあなたを。

華恋の"最後の台詞"、とっても、とってもよかった。きっとひかりにとってはそれは当たり前で、恐怖で、ずっと答えだったんだろうけど、華恋にとっては"スタァライトの、最後の台詞"である必要があったんだろう。

これは青春の終わり、みんなが大好きな誰かと別れて、次の舞台へ進むための物語。だけど"なぜ進むのか"の答えが心の中にある限り、私たちはもう舞台の上。私は初めそういうふうに解釈した。
でも、もしかしたら、あの華恋の台詞、「スタァライトを演じ終わったら、私にはなにもない」。"なぜ進むのか"の答えが見つからない華恋の、戸惑いの台詞がもし、映画そのものに対する台詞だったとしたら?この作品は、学園生活からレヴューへの隔壁だけではなく、第四隔壁までも飛び越えてきた作品だということになるのかもしれない。観客席のほうを見て「客席がこんなに近い」と言った華恋の台詞。映画が始まったその瞬間から、彼女たちは舞台を求める私たちキリンのために、"少女☆歌劇レヴュースタァライト"を演じている。


次から次へと目まぐるしく溢れ出す色彩と作画の暴力に最初から最後まで殴られっぱなしだった。途中で画が良すぎて失神するかと思った。それほど映像がすごかった。「すごい、すごい、」という単純な感情で内臓が震えた。そこに響き渡る劇場の音響。私が人生の目標として掲げた豊かな作品体験というのは即ち、これだ、という確信があった。本当に映画館でこれを観られて、よかった。よかった…………。

 

アニメ版『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の感想

ネタバレをほんのり含むので注意。 初見の衝撃を大事にしたほうがいいタイプの作品です。

先月あたりから劇場版の話題を見かける機会がちょこちょこあって、気になってはいたが手を伸ばすには至らず。それが今回公開締め切りぎりぎりで映画を観に行くことになったので、これまた駆け込みでアニメ版を履修することにした。 昨日の夜に1話から見始めてつい先程12話完走。 なるほどなぁ……!これは確かに前評判の期待を裏切らない。紛うことなき良作だった。「舞台」「少女」「歌劇」すべての要素を余すところなくストーリーと構成に活かしている。 途中思わず熱くなって椅子から立ち上がったり、涙ぐんだり、「大場ななッッッッッ」って叫んだりした。大場なな……………………好きだ…………………………(嗚咽)。

前評判通り、映像演出がとにかくすごい。すさまじい。これほんとにアニメ版?映画じゃないの?って思うくらいの迫力で押し切ってくる。色彩構成も見事だし、とにかくアクションがびゅんびゅん動く。服や小物がなめらかに質感を表す。上掛けが落ちるシーン、毎回実際に落ちてる物質の軽さに対して想いが重過ぎる。 アニメでこれなら劇場版はどうなっちまうんだってばよ。

1話の後半で既に「アタシ再生産」と変身バンクの世界観に引き込まれていた。ただ、舞台パートとは隔てられた日常パートにも実はふんだんにスパイスが振り撒かれているのでドキドキする。そこから少女たちの関係性と群像劇に一喜一憂しながら7話。7話…………大場なな…………(嗚咽)(二回目)。聞くところによると劇場版再生産総集編ロンドロンドロンドなるものがあり、大場ななファンを殴るのにちょうどいいらしい。観たい。ていうかそれも映画館で観たかった。強烈にそう思うほど映画然としたアニメ作品だし、同時にリアル舞台化を大前提として作られた作品だろうなと思った。舞台化作品をほとんど観たことがない私でも、レヴュースタァライトの舞台は観たい。だって舞台は、演者と観客がいて初めて成り立つから……。

全体の傾向としては、まどマギ今敏監督のパプリカ、ダンロンなんかも少しだけ連想させた。たぶんキルラキルあたりを履修してるとより近しい場所にある気がする。クサい台詞も演出次第、なんて言うと身も蓋もないが、とにかく登場人物の心情をまっすぐにまっすぐに伝えるための作品だったという気がする。

あと個人的にはやっぱり、最終話でキリンが話しかけてきたときのぞわりとした感情がよかった。 劇場版はこれ以上の衝撃を与えてくれるんだろうか。期待半分不安半分です。わかります……。